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カテゴリ「大阪いろいろ」の34件の記事 Feed

2016年10月26日 (水)

星のブランコ と 山の植物たち

 夏には白山へ一緒に登るはずだった大阪の山友さんから様子伺いの連絡がありました。少し位なら歩けるようになった、と伝えたら、すぐに折返しの返信が来て、いつもの歩き慣れた山で、藪こぎもなし、険しい坂もなしの無理のないコースを選んだから、一緒に歩こうと声をかけてもらいました。山の花も少なくなり、ツルリンドウの道を歩くとのことです。久しぶりに「星のブランコ」へも立寄りますので、2つ返事でOKしました。

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 今回の山歩きで出会った ツルリンドウ。山道の至る所で、予想通り沢山の花と果実が見られました。この山を知り尽くしている山友さんは、この日に歩いた山道を、勝手に「ツルリンドウの道」と呼んでいましたが、私は現地に来るまで、どの道なのか分かりませんでした。

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2016年7月 7日 (木)

天王寺界隈 ~ 花と歴史を訪ねて

 所用で大阪に出掛けた折に、少しの間、天王寺界隈を歩いてみました。一昨年は大坂冬の陣400年、昨年は大坂夏の陣400年の記念年でしたので、この周辺は徹底して、何度も歩き廻りましたが、今年もNHK大河ドラマ「真田丸」の人気にあやかって、引き続き、各種イベントやウォーク企画が盛り沢山に行われているようです。今日は一人で、久しぶりに茶臼山周辺の一心寺と安居神社に花と歴史を訪ねてみました。

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 ジャカランダ。ノウゼンカズラ科ジャカランダ属の落葉樹。南米の熱帯~亜熱帯地方が原産地です。葉は2回羽状複葉で(1回羽状複葉または単葉の品種もあるそうです)、見かけはアカシアやネムノキに似ています。花は藍色または青紫色が基本で、ピンクや白色もあります。花が奇麗なので熱海や宮崎などでの温暖地では、観光の一役を担うべく植樹されています。大阪では一心寺のものが有名で、この花も一心寺で撮影しました。訪れた時期が遅くて、もう僅かしか花は残っていませんでした。

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2016年5月22日 (日)

京街道 八幡から枚方へ

★シルバー健康ウォーク5月例会 「京街道 八幡から枚方へと歩く」 5/13

 今月の例会ウォークは、京都府から大阪府へ、淀川左岸沿い=京阪電車沿いに歩きます。京街道あるいは大坂街道と、かつては呼ばれた道ですが、今は新興住宅街となっていて、昔の面影は殆ど残っていません。今回のウォークは見るべき史跡などもないなぁと思っていたところへ、当日は、雲一つない快晴です。これではコンクリート道路の照り返しを受けて、ただただ汗水流して街路を歩くだけとなりそうです。

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 JRから京阪へと乗り継ぐと、京阪電車の「「in KYOTO, on KEIHAN」の舞妓さんシリーズ広告に久しぶりに出会いました。京都らしい広告です。「きょうは、どこいこ、京阪で」

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2016年3月 8日 (火)

生駒山系 最北端の山歩き ~ 交野山、国見山、サンドイッチ山

★個人ウォーク 「生駒山系北端部を歩く」 3/2

 生駒山系北部をホームグランドにしておられるブロガーさんから、色々な情報を得ています。当地近郊の低山が私の本拠地とすれば、この生駒山系北部一帯は準本拠地とも云える山々で、年に4-5回は歩きに行っています。今は○○鳥が見られるとか、○○の花が咲き出したとかの彼らの最新情報は、私の山歩きの参考にさせてもらっています。又、この地元の山友とは毎年、季節毎に一緒に歩いては山野草を楽しんできましたが、ここ1年はすっかりご無沙汰です。まだ山野草には早いのですが、山歩きに行ってきました。

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 今日は一人で、時間やコースの制約もなく、足の向くまま・気の向くままに歩きました。いつもの場所に車を停めて、少し遠回りになる「さえずりの小路」から入って、まず交野山(こうのさん)に登ることにしました。

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2015年12月 4日 (金)

星のブランコ

 「星のブランコ」へ紅葉ウォーキングに行きました。星のブランコは、大阪府民の森・ほしだ(星田)園地のなかにある 巨大な吊り橋の愛称 です。大阪府民の森は、金剛・生駒・紀泉国定公園の中に、北の「ほしだ園地」から南の「ほりご園地」まで9ヵ所が設定されていて、身近で豊かな自然に親しめるよう、森や施設を整備した自然公園で、縦横にハイキングコースがめぐらされています。さて、紅葉と云えばモミジの名勝地が大半ですが、星のブランコは、山全体が織りなす雑木林の紅葉です。ここ生駒山系は私の普段のウォーキング場所で、四季を問わず歩き回っていますが、星のブランコの紅葉の雄大さは格別です。「関西の紅葉名所ランキング」でも毎年トップに挙げられるほどです。11月中旬頃に、下見がてらに一人でウォーキングした時は、まだ紅葉には程遠かったので、12月初旬の天候の良さそうな日に狙いを定めて、友人3人と一緒に紅葉ウォーキングに出掛けることにしました。

★有志企画 「星のブランコ・紅葉ウォーク」 12/2

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 ほしだ園地・展望スポットから見た 山の紅葉と星のブランコ。例年に比べると、赤みがもう一つでしたが、色とりどりの雑木林の紅葉の美しさを見ていると、そんな些細な不満は気にならなくなってきます。

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2015年5月28日 (木)

太閤道を歩く

 太閤道とは、明智光秀謀反の時、備中松山城水攻めの途中で引き返した豊臣秀吉が、現在の大阪府高槻市から山越えをして大阪府三島郡島本町へと抜けた山道で、山崎の合戦に挑んだことから、こう呼ばれるようになりました。今回は島本町から高槻市へと逆回りで歩きました。

★シルバー健康ウォーク 「太閤道」 5/15

 3月で解散となった相楽健康ウォークの、仲の良かった有志たちによる月一回の歩こう会です。4月の「伏見及び背割提の桜見物」の時には、まだ名称も決まっていなかったのですが、今回よりシルバー健康ウォークと称するようになりました。

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 京都駅で乗換え、JR京都線(東海道本線)の島本駅に集合です。東海道本線の高槻・山崎間は明治9年(1876)開業以来、駅間距離が7.5kmもありました。このため、区間途中での新駅誕生が望まれていて、ようやく2008年にJR島本駅が開業しました。

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2015年5月 9日 (土)

金剛山・登山 2015春 ~ 圧巻!ニリンソウ 再び

 「カトラ谷ニリンソウを見に行きてぇ~、行ける方至急返信ください」 山のリーダーMさんからの連絡。二年前に、Mさんの案内で初めて連れて行ってもらった、あのカトラ谷の夢が、再び蘇ってきました。すぐに参加するむね返信です。2年前の金剛山・ニリンソウは → こちら

★山の会 もっと歩き隊 「金剛山・登山」 5/2

 今回の参加者は7名、車2台に分乗し、千早赤阪村の金剛山登山口駐車場に午前8時到着です。早くも駐車場は満杯状況、ギリギリ、セーフでした。準備を整えたあとスタートです。

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 スタートしてすぐに千早本道(登山本道)との分岐点があり、本道とは反対方向に歩くこと約10分で、次の分岐点「車止めゲート前」です。ゲートを越えて橋を渡ると「黒栂(とが)谷・カトラ谷ルート」、ゲート手前を右に行くと「タカハタ谷・ツツジ尾谷ルート」です。今回の行程は、往路はゲートを越えカトラ谷へ、復路はタカハタ谷からツツジ尾谷に立寄って、再びこのゲート前まで戻ってくる予定です。

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2015年5月 8日 (金)

葛城山・登山 2015春

 カタクリやショウジョウバカマを見に葛城山へ登りました。この2つの花については、既にスプリング・エフェメラルとしてブログに取り上げましたが、ここでは山行全般の記録と、それ以外に出会った動植物について整理してみました。

★山の会 もっと歩き隊 「葛城山登山」 4/23

 水越トンネル西口近くの駐車場からスタートし、天狗谷ルートをとって山頂を目指し、下山はダイトレ(ダイヤモンド・トレイル)を通って水越峠まで下り、駐車場へと引き返す行程です。

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 午前8時過ぎ、ヤマブキ(山吹)が咲き揃う山道へと入ります。朝のすがすがしい空気が気持ちいい。

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2015年4月 2日 (木)

大坂夏の陣 ~ 大阪市内ゆかりの地を巡る

 大坂の陣400年に当たる昨年から今年にかけては、各種関連イベントが多々行われています。昨年は冬の陣400年でしたが、今年は夏の陣400年に当たり、2月から3月にかけて、私も「木村重成・戦跡コース」、「真田幸村・戦跡コース」、そして「後藤又兵衛・戦跡コース」のウォークに参加してきました。今回は大阪市内のゆかりの地を歩くということで、これまでの総括という意味からも参加いたしました。今までの大坂の陣・関連参加ウォーク等については → こちら

★ラジオ大阪主催 「大阪歴史健康ウォーク」 3/29

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 集合地の大阪・四天王寺・中門前広場です。四天王寺は飛鳥時代に聖徳太子が創建した、大阪を代表する大寺院です。戦国時代の頃には相当荒廃しており、豊臣秀吉・秀頼の二代に渡って大伽藍が再興されましたが、大坂冬の陣で焼失、灰燼に帰しました。その後、徳川の手で再建されるも、落雷で焼失。文化9年(1812)に再建されるも、昭和9年(1934)室戸台風で大被害を蒙る。またもや再建されるも、昭和20年(1945)大阪大空襲で焼失。現存の中心伽藍は、昭和32年(1957)から再建にかかり昭和38年(1963)に完成したもので、鉄筋コンクリート造となりますが、飛鳥建築の様式は再現されています。

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2015年3月13日 (金)

大坂の陣ウォーク ③ ~ 後藤又兵衛 その二

★徳川家康は後藤又兵衛に殺された? 

 ここでは、前回のウォークの関連として、後藤又兵衛と徳川家康の死について記してみたいと思います。徳川家康は、夏の陣にて又兵衛に槍で突かれて殺されたと云う伝説はかなり根強いものがあります。

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 大坂の陣で家康を槍で仕留める後藤又兵衛の図 (写真の錦絵は、2015.2.6付産経新聞夕刊に掲載されたもので、四代目旭堂南陵氏が所有する明治・大正時代に出版された講談社本の挿絵です)。真田幸村により家康の本陣が突き崩され、逃げ回る家康が後藤又兵衛に討たれたとする伝説に基づく絵画です。
 家康は真田幸村の突撃から逃れると、駕籠へと乗り継ぎ、堺に向けて遁走するも、その駕籠が怪しいと睨んだ後藤又兵衛が駕籠の上から槍を突き刺します。確かな手ごたえを得るも、駕籠は必死で敵を振り切り、堺の南宋寺に逃げ込みます。すぐに駕籠の中が開けられると、既に家康は絶命していた‥と云われています。

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2015年3月11日 (水)

大坂の陣ウォーク ③ ~ 後藤又兵衛 その一

★大坂の陣400年プロジェクト実行委員会・産経新聞社主催 「後藤又兵衛と大坂の陣戦跡コース」 3/1

 大坂夏の陣の最激戦地の一つであった道明寺の戦いの記念碑や、小松山の戦いで敗れた後藤又兵衛の碑、真田幸村と伊達政宗が戦った地などを巡ります。

 後藤又兵衛基次 : 後藤又兵衛は、慶長の役(第二次朝鮮出兵)や関ヶ原の戦いなどで武功をあげ、黒田長政から筑前・大隅の城を預けられ、1万6千石を領した。しかし、黒田と仲の悪かった細川忠興と又兵衛は通じていると長政に疑われ、次第に長政との折り合いが悪くなり、黒田家を出奔する。しかも、長政が行った嫌味な奉公構(ほうこうかまえ)により、他藩に仕えることも出来ず、浪々の身となる。奉公構とは、大名が出奔した家臣等について、他家が召抱えないように釘を刺す回状を出すこと。やがて又兵衛は豊臣秀頼の招きに応じて大坂城に入る。家康は、又兵衛の武将としての能力を高く評価し恐れていたため、長政を説き伏せ、黒田家への帰参を取り付けるが、又兵衛は応じず。更に徳川は又兵衛の次子・左門を人質に取り又兵衛に圧力をかけるが、左門は自分が捕らわれていると、父・又兵衛の決断を狂わせるとして自尽する。夏の陣の「道明寺の戦い」では、味方との連携作戦がかみ合わず、小松山で10倍以上の徳川軍に対し、孤軍奮戦するも、鉄砲で身体を射抜かれて落馬、家臣に首を取られぬよう命じ、介錯されて戦死した(享年56歳)。

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 玉手山ふれあいパーク・歴史館に飾られていた後藤又兵衛の画像(原画は福岡市博物館蔵の「黒田二十四騎画帖」に収められている又兵衛です)。

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2015年2月27日 (金)

大坂の陣ウォーク ② ~ 真田幸村 その二

★個人ウォーク 「天王寺・茶臼山 と 幸村終焉の地・安居神社を訪ねる」 2/22

 地下鉄・長原駅にて幸村ウォークは終了という、中途半端な終わり方でしたので、個人的に天王寺で下車して、その続きとなる 夏の陣・最後の壮絶な戦いとなった天王寺・茶臼山一帯を、一人で歩いてみることにしました。

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 JR天王寺駅西口から見た阿倍野ハルカスです。

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2015年2月25日 (水)

大坂の陣ウォーク ② ~ 真田幸村 その一

★大坂の陣400年プロジェクト実行委員会・産経新聞社主催 「真田幸村と大坂の陣戦跡コース」  2/22

 日本一の兵(ひのもといちの つわもの) と呼ばれた真田幸村が、大坂の陣の際に戦勝祈願をしたとされる神社や、地雷をしかけた場所、徳川軍ゆかりの寺などを巡ります。

 真田幸村 : 関が原の戦いでは、兄(信行)と袂を分かち、父(昌幸)と共に西軍に加勢するも、敗戦で浪人となり、九度山で困窮の生活を送る。そうした窮状から救い出し、再び武士の誇りを持たせてくれたのが豊臣秀頼で、慶長19年(1614)10月頃に大坂城に入ります。幸村は、大坂城の弱点は城の南方であると見破り、ここに「真田丸」という出城を構築します。そして、冬の陣での「真田丸の戦い」では、幸村は徳川方の大軍に大打撃を与え、徳川勢はおびただしい死傷者を出して撤退に至ります。幸村を甘く見ていた家康は、冬の陣の和議後、幸村に大封を与えることを条件に寝返りを促しますが、秀頼の恩義に報いるため、幸村は断ります。家康は次の戦いを想定し、大坂城の堀を埋め、真田丸を徹底的に破壊してしまいます。大坂の陣では、豊臣方にはリーダーシップを取れる大将がおらず、幸村の提言も城内の重臣たちに受け入れられず、野戦も連携作戦がかみあわず、「今はこれで戦は終わり也。あとは快く戦うべし。狙うは徳川家康の首ただ一つ」と、真っ正面から家康本陣に狙いを定めて突撃を三度も敢行、徳川勢は総崩れとなり、家康は自害を二度も覚悟したほどだったと云われます。しかし多勢に無勢、次第に追い詰められ、傷ついた身体を休めていたところを、敵兵に発見され、「わしの首をとって手柄にされよ」と述べて、潔く討ち取られていきました(享年49歳)。

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 大坂の陣で家康本陣に突撃する真田幸村の図 (写真の錦絵は、2015.2.6付産経新聞夕刊に掲載されたもので、四代目旭堂南陵氏が所有する明治・大正時代に出版された講談社本の挿絵です)。真田幸村は、真田信繁(のぶしげ)が正しい名前ですが、死後、寛文12年(1672)に世に出た軍記物語『難波戦記』に「幸村」としての名が初めて記され、以後、急速に幸村と呼ばれるようになりました。

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2015年2月20日 (金)

大坂の陣ウォーク ① ~ 木村重成 その二

★大坂の陣400年プロジェクト実行委員会・産経新聞社主催 「木村重成と大坂の陣戦跡コース」 2/15

 大坂冬の陣で初陣を飾り、夏の陣で散っていった豊臣軍・木村重成の陣屋跡や墓、徳川軍が首実検をした際に使用した床が天井板として現存する寺などを巡ります。

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 第二寝屋川の橋を渡った(八尾市側の)川畔にある幸町公園(木村公園とも呼ばれる)入口に建っている 「此附近 木村重成 奮戦地」 と書かれた石碑です。

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2015年2月18日 (水)

大坂の陣ウォーク ① ~ 木村重成 その一

★大坂の陣400年プロジェクト実行委員会・産経新聞社主催 「木村重成と大坂の陣戦跡コース」 2/15

 大坂冬の陣で初陣を飾り、夏の陣で散っていった豊臣軍・木村重成の陣屋跡や墓、徳川軍が首実検をした際に使用した床が天井板として現存する寺などを巡ります。

 木村長門守重成 : 生年が明確ではありませんが、文禄2年(1593)頃?とも云われ、文禄2年なら豊臣秀頼と同じ生年となりますが、生まれたのは重成の方が先でした。重成の母(宮内郷局=くないきょうのつぼね)は、秀頼の乳母となったので、重成は幼少時より秀頼の小姓として、大阪城で秀頼と一緒に遊び育った、秀頼唯一の幼友達で、元服後は秀頼の信頼が最も高かった武将です。勇敢で礼儀正しく、教養が高く、背も高くて美男子だったそうですから、大坂夏の陣の「八尾・若江の戦い」で、若干23歳で戦死した時には、大阪城内すべての女性が泣き崩れたと云う話が残っています。惜しむらくは、重成がもっと早く生まれていて関が原の戦に参戦でもしていたら、きっと大活躍しただろうし、歴史も変わったかもと思えてなりません。

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 木村重成の位牌が祀られている若江・蓮城寺に奉納されている 木村長門守重成の肖像画 です。この絵を画いたのは、馬堀法眼喜孝画伯だと聞きました。馬堀法眼の名前は殆ど知られていませんが、旧一万円札の聖徳太子、旧千円札の伊藤博文、旧五百円札の岩倉具視などの肖像画を描いた人物で、肖像画の第一人者です。

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