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カテゴリ「鉄道関連」の5件の記事 Feed

2016年3月14日 (月)

加茂の鉄道歴史展(第3回)

 関西で雛祭りと云えば、奈良の大和郡山市や高取町、滋賀県の日野町などが有名ですが、加茂の雛祭りも今年で11回目を迎えます。木津川の運搬船の荷揚げ、明治の関西(かんせい)鉄道・加茂駅の開業などで、商店街は栄え、江戸から明治期の旧家には、古いお雛様が沢山残されていて、最近では遠くからの観光客も訪れておられるようです。そのお雛様の展示の中に混じって、「かも鉄道歴史展」も出展され、今年は3年目にあたります。私にとっては、お雛様よりこの鉄道展を見るのが本命で、出掛けてみました。

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 旧商店街の一角に出店していた「第3回かも鉄道歴史展」です。今年のテーマは「汽車から電車へ」です。加茂駅は関西鉄道が名古屋から伊賀上野を経て関西に伸長してきた関西の基点でした。加茂機関区が置かれ、ここが奈良への大仏線(いわゆる大仏鉄道)、新木津を経て大阪の片町へと伸びる本線との分岐点でした。関西鉄道はやがて国有化され、加茂駅は、以後、国鉄・関西本線の重要拠点として現在にまで至っています。加茂在住の旧国鉄OBらによる「加茂の鉄道遺産に親しむ会」の人達によって保存されている資料を展示、説明されていました。右側の人は、かつての蒸気機関車の機関士の服装姿です。

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2015年12月13日 (日)

国鉄SL追想 ~ C57 と D51

 国鉄は昭和34年(1959)に、”昭和35年度から50年度までに、主要線区5000kmの電化と、その他の線区のディーゼル化を行い、蒸気機関車(SL)の運転を全廃すべきである” とした「動力近代化計画」を発表。その計画通り、昭和50年(1975)12月、旅客列車・貨物列車ともにSL定期運行は北海道にて終止符を打ちました。鉄道好きだった私は、中学生の頃から休日などには自転車に飛び乗って、京都駅や梅小路機関区に行って、蒸気機関車や電気機関車の姿を見ていました。この頃には、既に山陽本線も西明石→姫路→岡山へと、どんどん西へと電化が進んで行き、梅小路に残る旅客用のSLは、山陰本線や草津線用のC57や、奈良線用のC58などだけでしたが、姫路第二機関区の所属だろうと思われるC59なども時には来ていたような気がします。このC57とC59は、旅客列車牽引専用に造られたパシフィック型機関車(2C1の軸配置=前輪2軸・動輪3軸・従輪1軸)です。終戦後は牽引力の強い貨物用蒸気機関車D52を改造した旅客用のC62(ハドソン型機関車=2C2)などが造られ、東海道本線や山陽本線の特急や急行の牽引は、C62が主となってしまいました。私が中学生の頃には東海道本線は特急から普通まで長距離列車は、殆どEF58型(ゴハチ)電気機関車が牽引していました。夏休みには広島・廿日市の祖母の所へ毎年遊びに行っていましたので、姫路や岡山まではEF58が牽引、そこから先は機関車をSLに取り換えての運転でしたので、広島・糸崎機関区のC59やC62にも、よく乗った思い出があります。ちなみに、天皇陛下や皇族方を乗せる「お召し列車」牽引に日本最強の旅客用SLであるはずのC62が一度も登用されることがなかったことは、当時の国鉄マンのC57やC59への信頼が絶大であったことを裏付けています。力強さではC62でも、美しさや操作性ではC57やC59のパシフィック型に勝るものはなく、個人的にも一番好きな蒸気機関車でした。

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 わが町(木津川市加茂町)のSL広場に保存されているC5756号機です。C5756号機は、関西本線を経由する東京~大阪湊町間の急行「大和(やまと)」などを牽引していた奈良機関区のエース機関車でした。特に昭和34年(1959)4月18~20日には、今上天皇陛下(当時、皇太子様)と美智子妃殿下との伊勢神宮・畝傍御陵・桃山御陵へのご成婚報告ご参拝旅行において、この関西本線で「お召し列車の本務機」を担当すると云う、機関車としては最高の栄に浴しています(この時のお召し列車の後補機は、同じく奈良機関区のC5779号機でした)。最前部の給水加熱器や煙突の先端には金色の飾り帯を付け、煙室扉上部の手摺りや連結器などは銀色に塗装され、ナンバープレートは赤色と云う、お召し仕様の姿で展示されています。

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2014年6月27日 (金)

2014 上期 ウォーキング回顧記録 ③

 2014年度上期(1-6月)に参加した未アップのイベント・ウォーキング、賞味期限切れ第3弾です。

★精華町ふるさと案内人の会 「せいか小さな旅」 4/22

 今回のウォークは、精華町内に残る鉄道遺跡や古墳、南山城三十三番札所のうち精華町内に位置する幾つかの寺院を訪ね、ウォークの最後には「いちご園」に立ち寄り、新鮮なイチゴを味わいます。

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 木津川左岸(西側)に位置する精華町を南北に、JR学研都市線(旧片町線)と近鉄京都線が並行して走っています。この片町線に今は廃線となった「川西側線」と云う線路が敷かれていました(上の地図の点線部分)。

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2012年12月 9日 (日)

大仏鉄道跡を訪ねて~加茂から奈良までを歩く

 木津川歴史学習会のメンバーさんから「大仏鉄道跡を歩くので行きませんか?」と声を掛けてもらいましたので、二つ返事で参加させてもらいました。JR加茂駅からJR奈良駅までフルコースを歩くのは1年ぶりです。

★木津川歴史学習会「大仏鉄道跡散策」 10/25

 学生時代、鉄道研究会にも身を置いていた私にとって、この地に住むようになってからは、関西鉄道・大仏鉄道は身近な関心テーマとなりました。明治の遺物として近年、夢とロマンをもって語られることが多いのですが~とりわけ「上り坂では機関車が登れず、客が降りて列車を後押しした」などと、あたかもそれが大仏鉄道を代表する語り草のように紹介されていることに、個人的には非常に疑問を持っています。当時の関西鉄道の技術力と蒸気機関車の性能を調べる限り、こんなことは通常、有り得ないことと思っています。そうした疑問点や不明点を、自分なりに追究したいと思っているのですが、手持ち以上の写真や資料も集まらず、私の整理も殆ど進んでいないのが実情です。
 本日は素直に鉄道遺物だけを皆さんと一緒に見て回ることにしました。

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 いきなり加茂駅西口に近い「ランプ小屋」から訪ねましたが、やはり加茂駅東口広場にある大仏鉄道の案内板からスタート(紹介)しないといけないでしょう。

 大仏鉄道は現在のJR関西本線(大和路線)の前身である私鉄・関西鉄道㈱が名古屋から大阪方面への進展を目指して、「加茂駅」から奈良駅の1km手前に仮設的に作った「大仏駅」までを結ぶ8.8km(その後、奈良まで延長し9.9km)の路線で、明治31年(1898)4月19日に開通いたしました。

 ちなみに、関西鉄道㈱は「かんせいてつどう」と読むのが正しいそうです。明治時代は進取の精神が強調された時代で、漢字の読み方も漢音読みがもてはやされたそうです。江戸時代以前は漢字は仏教と一体でしたので殆ど呉音読みだったのです。ついでに、同行ウォークの博識者から「西を”さい”と読むのは呉音読みで、関西学院大学はミッション・スクールなので仏教臭の強い呉音読みを嫌って、”くゎんせいがくいん”と、漢音読みで西を”せい”と読むようにした」という話も聞きました。*当の関西学院のHPには”くゎんせい”と読むのは進取の精神で、としか書かれていませんが、いろいろ諸説があるようです。

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2012年8月10日 (金)

ウォーキング記録 (2012 その2)

 2012年度5月~8月の期間に、個人ウォークは除き、私が参加したイベント・ウォーキングのなかでブログ記事に紹介できなかったウォークだけを取りまとめてみました。

★相楽健康ウォーク「牛松山登山」 6/1

 「丹波富士」と呼ばれる牛松山(京都府亀岡市)登山に参加しました。各自、JRや近鉄で京都駅に集まり、JR山陰本線(嵯峨野線)の快速電車に乗り換え、亀岡で下車です。

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 保津川にかかる保津橋です。この橋の左手が嵐山へ向かう保津峡下りの観光遊覧船の乗船場です。橋の正面左手には今から登る牛松山が見えます。今日は山の右裾から登り、山頂を経て、左裾に下りてくるコースです。
 福性寺横の登山口から登ります。山道から景色を楽しむ所は殆どなく、単調な登りとなりますので、(登山口から丁石が設置されていたので)丁石に出会うたびに1丁、2丁、3丁と心の中で数えながら登っていたのですが、9丁を過ぎて「ヤレヤレ、もうあと少しや」と思っていたら、山頂でもないのに10丁の丁石出現です。「エッ10丁で終りと違うの? 一体何丁まであるんやろ」と一気に疲れが増してきました。アトでわかったのですが全部で18丁までありました。10丁はまだ半分過ぎの所でした。

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