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カテゴリ「奈良いろいろ」の127件の記事 Feed

2016年10月28日 (金)

若草山登山 と 秋の奈良

 「一週間に十日来い」は五月みどりさんのヒット曲名ですが、今回は「一週間に二回も行った」若草山です。同じ場所へ立て続けに二回も行った理由は、ある植物を見たかったのですが、結果は見られずじまいでした。しかし、秋空のもと、気持ちの良いウォークが出来、可愛い鹿たちに癒されて、元気を貰うことが出来ました。

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 両日ともに、JR奈良駅よりスタート。三条通りを東に直進、春日大社一の鳥居を過ぎ、境内の鹿たちを見ながら、万葉植物園の手前で水谷茶屋へと向かいます。

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2016年10月 9日 (日)

飛鳥を歩く ~ キトラ古墳

 台風15号は発生後、短時間で巨大台風に成長しましたが、萎えるのも早く、本土上陸前には、あっけなく熱帯低気圧に変わってしまい、胸をなでおろした人も多かったことと思います。日本海方面から本土を直撃する珍しいコースをとるタイプでしたが、地球温暖化の影響は、今後とも台風を増産し、予想外のコースをとる台風が増えてきそうです。さて、翌日(10/6)は、朝から好天気で外出日和でしたが、私は足の外来診察日なので、朝一番に病院でレントゲンを撮ってもらい、医師との面談では順調に回復中とのお墨付きをもらいました。今日は病院で待たされることもなく、10時過ぎには帰宅出来ましたので、歩きに行くことにしました。久しぶりに奈良の「山の辺の道」か「飛鳥」を歩きたいと思っていましたので、先月末に待望のオープンを果たしたキトラ古墳のある「飛鳥」へ行くことにしました。

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 つい先日の9月24日に、奈良県・明日香村に「キトラ古墳壁画体験館 四神(しじん)の館」を中核施設とする「国営飛鳥歴史公園・キトラ古墳周辺地区」が開園しました。写真は復元されたキトラ古墳です。高松塚古墳壁画の発見直後、付近の住民から「近くに似たような古墳がある」との情報提供があり、これがキトラ古墳の発掘調査に繋がる糸口となりました。1983(昭和58)年にファイバースコープによる探査が行われ、石槨の奥壁に玄武(亀)と思われる壁画が発見されました。以来、実に33年の月日が流れ、ようやくその全貌を私たちが知ることが出来るようになりました。

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2016年5月18日 (水)

ちょっとだけ歩いた 山の辺の道

 酒と日本史探訪が共通の趣味で、一番のウォーク友達だった親友が病に伏して早や半年が過ぎようとしています。彼が元気だった頃には、毎月のように「飛鳥」や「山の辺の道」などを訪れていました。今年(2016)の9月末には「国営飛鳥歴史公園・キトラ古墳周辺地区」が開園予定で、楽しみにしてたのですが、同行は難しそうです。古代ロマンを一緒に語り合えなくなり、自然と足も遠のいて、今年は2月に山の辺の道を訪ねただけで、しばし ご無沙汰しています。先般、ヒメフウロをアップした時に、ヤワゲフウロのことが頭に浮かびました。ヤワゲフウロなら「山の辺の道」に沢山咲いています。昔のように、好きだった古墳に立ち寄りながら、「山の辺の道」を、ちょっとだけ歩きに行って来ました。

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 大和朝廷の創始者とされる第10代天皇を祀る 行燈山(あんどんやま)古墳 です。天皇の名前をとって、崇神(すじん)天皇陵 と呼ばれます。古墳は天皇陵のため、陵墓の中に入ることは出来ません。初代・神武天皇亡きあと、第2代・綏靖(すいぜい)天皇から第9代・開化天皇までの8人の天皇は、古事記や日本書紀に系譜は記載されているものの、その事績が全く記されていないため、この期間は「欠史八代」と云われ、実在されたのかどうか確認出来ていません。従って、この第10代・崇神天皇が 考古学上、実在されたことが明確に分かっている最初の天皇です(欠史八代は後世で創作された可能性が高いということです)。

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2016年4月15日 (金)

春の鹿華苑 ② ~ ヨシノツツジ、シャクナゲ、シデコブシ 他 

 鹿華苑さんで見た春の木本たちです。

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 ヨシノツツジ(吉野躑躅)。ツツジ科ツツジ属の落葉樹で、シャクナゲとツツジの交配種です。別名を「西洋シャクナゲ “吉野”」とも云います。シャクナゲもツツジ科ツツジ属なので分類的には全く同じです。本来のシャクナゲよりも小さな花を咲かせます。開花時には樹木全体を覆い尽くすほど、花つきの良い、存在感抜群のよく目立つ花です。ヨシノツツジは、2002年の園芸博覧会(フロリアード)で金賞を受賞した植物です。

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2016年4月13日 (水)

春の鹿華苑 ① ~ ヒゴスミレ、キクザキイチゲ、ミズバショウ 他 

 天気がいい日を選んで、明日香から多武峰(とうのみね)へ、ドライブがてらに花見に行って来ました。春休みも終わりに近づき、人出は思った以上に多くて、車の中から見た、飛鳥川堤防の桜並木、石舞台古墳の桜、多武峰・談山神社周辺の山桜なども、どれも見事なものでした。運転でサクラの写真は撮れませんでしたが、車窓からのお花見は楽しめました。折角、多武峰まで足を伸ばしたので、鹿華苑さんに寄ってみました。毎年、何回かはここを訪れては、四季折々の山野草を見せてもらっています。苑内に入ったところで、偶然ご主人のOさんにお会いしました。「ミズバショウが旬ですよ。鹿が来て植物を食べるので、柵をしていますから、柵を開けてご自由にご覧ください。出られるときは戸締りを忘れずによろしく」と親切なアドバイスをいただき、順々に廻ってみました。

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 今回一番心を惑わさられたのは、このスミレでした。ミズバショウの頃には今までも来ているのですが、このスミレは見逃していたようです。道端で見かけた時、これは「ひょっとして‥」と期待に胸躍らせながら写真を撮りました。帰宅後、確認のため検索すると、どうも期待していたものとは少し様相が違います。念入りに調べれば調べる程、期待のエイザンスミレ(叡山菫)ではないようです。どうも ヒゴスミレ(肥後菫)のようでした。

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2016年4月 5日 (火)

奈良の色々な ”門” を訪ね歩く ~ 後編

 ボランティア・ガイドさんの説明を聞きながら、奈良市内の色々な”門”を訪ね歩いた、後半です。

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 第6番目の門、東大寺・南大門(国宝)。五間三戸の「二重門」形式の門で、高さは25.5m、桁行28.8m、梁行10.8m、直径1m・長さ19.2mの柱18本の、わが国最大の山門です。天平時代の創建時の門は平安時代に大風で倒壊し、現在の門は鎌倉時代に再建されたものです。ちなみに、「二重門」形式とは二階建ての門のことで、各々の階に屋根が付いているもの云います。二階建てだが一階部分は縁だけで屋根がなく、二階部分にだけ屋根があるものは「楼門」と呼ばれます。 ㊟ 桁行:正面から見て右端の柱から左端の柱までの長さ。梁行:正面から見て最前部の柱から最奥の柱までの長さ。屋根先端部分の出っ張りは、挿肘木(さしひじき)で支えています。

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2016年4月 3日 (日)

奈良の色々な ”門” を訪ね歩く ~ 前編

★なら観光ボランティアガイドの会 「もっと知りたい 門のこと!転害門の魅力」 3/27

 奈良については、個人的に色々調べてみたいことがあります。例えば、奈良市内を流れる「率川(いさがわ)」です。江戸時代の地図には明解に描かれているこの川も、現在は都市整備などで道路になってしまうなど、殆どが暗渠(あんきょ)化され、どのように流れていたのかよくわかりません。猿沢池からJR奈良駅辺りまでは何回か調べ歩いたのですが、その前後は未確認です。また「奈良奉行」も同様に興味があります。江戸時代は今の奈良市は(当時は奈良町と呼ばれていましたが)京都市などと同様に、徳川幕府の直轄地でしたので、町奉行の役割や実績がどのようなものだったのか興味を持っています。先日「近世の奈良と奈良町奉行」という講演会があったのですが、あいにく都合がつかず、参加することが出来ず、とても残念でした。今回は「門」についての予約制の実地見学会でした。奈良に限らず、歴史遺跡を巡り歩く際に、出会う建造物にまつわる”門”について、いろいろ学べる企画でしたので、早々に申し込んでおきました。

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 当日は、奈良県庁前に「13時集合、受付は12時30分から行います」ということで、JR奈良駅からゆっくりと歩いて、12時50分頃に到着しました。スタッフ以外、余り参加者が見当たらず不思議に思っていたら、12時半からの受け付けが終了した人たちから順々に、10数人づつの班になって、既に出発済みでした。私は7斑となり10数人集まった時点でスタートとなりました。このあとの8斑が最終組だったようです。本日は12の門を訪ね歩きます。

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2016年3月12日 (土)

いろいろな狛犬たち ② ~ 都祁水分神社、国津神社、梅谷天神神社

 ”丹波の佐吉”以外の、いろいろな狛犬たちの第2回目です。奈良県には4つの水分(みくまり)神社があると、先日 記しましたが、そのうちの一つ、宇太水分(うだみくまり)神社には、佐吉の狛犬がいます →こちら(”丹波の佐吉”第2回)。今回は都祁水分神社、他です。

★都祁水分(つげみくまり)神社の狛犬

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 都祁水分神社の本殿(重文)。本殿は、桧皮葺の一間舎春日造で、総丹(に=朱)塗りです。この本殿前に古い狛犬がいるはずなのですが‥、四方に瑞垣(みずがき)が巡らされています。

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2016年3月 6日 (日)

いろいろな狛犬たち ① ~ 東大寺、奈良豆比古神社、氷室神社

 ”丹波の佐吉”以外の、ウォーキング中に出会った、個人的に興味をもった狛犬~面白そうな、あるいは珍しそうな狛犬~たちを、佐吉とは別に取り上げてみました。

★東大寺・南大門の狛犬

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 大仏殿に向かう参道にある、圧倒されるほど大きな 東大寺の南大門(国宝)。「大華厳寺」と云う扁額が二層目に掲げられています。東大寺は華厳宗の大本山ですので、大華厳寺の異称が付いたようですが、東大寺の正式名は「金光明四天王護国之寺」だそうです。南大門は、入母屋造、五間三戸二重門で、下層は天井がなく腰屋根構造となっています。また屋根裏まで達する大円柱18本は、21mにも及び、門の高さは基壇上25.46mもある、大仏殿にふさわしいわが国最大の山門です。天平創建時の門は平安時代に大風で倒壊し、現在の門は鎌倉時代の建造物です。

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2016年2月27日 (土)

富士山の日 ~ 都祁野(つげの)富士 に登る

 2月23日は 「富士山の日」 です。日本各地には、山容が富士山に似ている山、歴史的に富士山と何らかの関係がある山、その土地を代表する山など、「○○富士」と称する山が沢山あります。いわゆる「郷土富士」とか「ふるさと富士」とか呼ばれる山々です。私は山野草も見られない時期の、寒々しい冬山は好きではないのですが、この日だけは「郷土富士」にでも登ってみたいと思いますから、富士山は私たち日本人の心の中に深く根付いていることを実感します。今年は兵庫県の有馬富士か、奈良県の都祁野富士(つげのふじ=都介野富士とも記す) のどちらにしようかと直前まで迷いました。奈良県の郷土富士は、朝倉富士(桜井市の外鎌山)、大和富士(宇陀市の額井岳)、伊賀富士(曽爾村の俱留尊山)、都祁野富士(奈良市の都祁野岳=都介野岳)の四山があります。前記三山は過去に登頂済みでしたが、都祁野富士だけは、まだ未登頂でしたので、ここに登ることにしました。大和高原にあるこの山は、周辺には幾多の古墳・古代遺跡が点在する古代からの古い集落ですので、登山ついでに古墳や寺社なども巡りました。ちなみに「つげ」と云う地名の表記は、都祁の他にも、都家、都介、闘鶏、竹渓、竹谿などが色々ありますが、現在の標準地名表記は「都祁」です。以前は、奈良県山辺郡都祁村でしたが、平成17年に奈良市に併合されて奈良市都祁となりました。

★個人ウォーク 「大和高原・都祁の里を巡り、都祁野富士に登る」 2/23

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 9時30分、三陵墓(さんりょうぼ)古墳の駐車場に車を停めスタート。歩き始めて10分程の池首池と云う物騒な名前の池の手前の茶畑当りから見た 都祁野富士(都介野岳)です。左の小高い丘が三陵墓西古墳です。本日は、近鉄発行の「てくてくMAP大和高原・都祁の里コース」に概ね従って歩くことにしました。

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2016年2月25日 (木)

加茂から東大寺へ歩く

★ふるさと散歩・かも 「伊賀街道を奈良東大寺へ」 2/13

 伊賀街道は、古くは「伊賀越奈良道」と云われ、奈良から、加茂・笠置・島ヶ原を経て、伊賀上野へ出て、橡(とち)の木峠(長野峠)を越えて、津へと続く街道でした(津で伊勢街道に接続し尾張や伊勢へ続く)。東海道のような主要街道ではありませんでしたが、明治の廃藩置県になるまでは、当地など京都府の一部(南山城地区)は藤堂藩の領地でしたので、藤堂藩にとっては重要な藩道でした。「伊賀越奈良道」の奈良側の起点・奈良市雑司町(東大寺の北)から加茂へ向かうルートは、奈良・青山から木津・梅谷を通るルートの他にも、奈良・青山から中ノ川の中川寺(廃寺)跡を経て当尾の浄瑠璃寺近くに出て加茂に下りる「中川越」と呼ばれる支線ルートなどもありました。また、加茂へは出ずに、奈良から中川・鳴川・狭川を経て直接 笠置に出て伊賀街道へ入る、いわゆる「笠置街道」もありました。昔の面影が推察できる明治中期の地図を見ていると、現在には存在しない、いろいろな道が描かれていて、地元の人や旅人は多様な道を歩いていたようで、興味はつきません。今回は加茂から木津・梅谷を経て、奈良・青山に出て、東大寺まで歩くオーソドックスな「伊賀伊勢道」を歩きました。

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 9時15分、JR加茂駅東口に集合。受付・準備体操・コース説明の後スタートです。

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2016年2月21日 (日)

西の京を歩く ~ 薬師寺 と 唐招提寺

★個人ウォーク 「西の京めぐり」 2/12

 近鉄ハイク「大和郡山3城跡めぐり」は昼過ぎに終わってしまいましたので、個人ウォークに切り替えて、そのまま「西の京」へと歩きに行きました。「西の京」とは、平城京の右京を「西京」と称したことに由来すると云われています。現在の奈良市の西方に当たり、秋篠(あきしの)川の西岸一帯を指し、薬師寺、唐招提寺、垂仁天皇陵、西大寺、秋篠寺などがあります。秋篠宮殿下の宮号の由来地となったことはご承知の通りです。また、丘陵には赤膚(あかはだ)焼の窯(かま)もありますが、今回はJR奈良駅に戻る途中でしたので、道筋の薬師寺と唐招提寺を覗き見ただけです。ウォークで毎度寺院を拝観していたら、乏しい小遣いがいっぺんに消えてしまいます。でも、歩いた記録として写真は撮っておく必要もありますので、覗き見出来る範囲でカメラを向けています。

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 秋篠川沿いの「西の京」の概略図です。秋篠川は、郡山城が豊臣秀長の時代に、元の流れを外堀として利用したため、本流は城下に入る手前で直角に曲げて佐保川に合流するよう変更されました。唐招提寺まで秋篠川に沿って歩くことにしました。

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2016年2月20日 (土)

大和郡山の三城跡 めぐり

★近鉄フリーハイク 「大和郡山三つの城跡めぐり」 2/12

 「酒蔵巡り」も殆どの酒蔵は過去に何度も訪問済みで新鮮味がなく、飲み友達でもある親友が入院中とあって、この冬は狛犬や歴史遺跡を主として巡り歩いています。今回予定された大和郡山の3つの城跡のうち、筒井城跡にはまだ訪れたことがなかったので、参加してみました。

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 9時30分、スタート地点の近鉄・筒井駅で下車。改札口を出た所でウォーク仲間2名と遭遇、コース地図を受け取り、3名一緒で歩くことにしました。駅からすぐ近くの所に第一番目の城跡・筒井城跡 がありました。石碑と案内板がなければ、単なる平地でしかありません。筒井城は名前の通り、筒井順慶の主城でした。詳細は割愛しますが、戦国時代、大和では松永久秀と筒井順慶が攻防を繰り返していましたが、織田信長の支援を受けた松永久秀に筒井城を攻め取られてしまいます。しかし、順慶の力量を見抜いた明智光秀の仲介で、順慶は信長に帰属し、大和の守護として筒井城に返り咲きます。信長は「大和の城は郡山城1つに集約する」として、この筒井城や多聞城などは取り壊されてしまい、順慶は郡山城に居を移します。一方、松永久秀は信長に刃向かい、信貴山城の戦いで自害してしまいます。

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2016年2月11日 (木)

ツバキ ~ 奈良の名椿”糊こぼし”など

 ツバキが大好きなのですが、昔のように寒い中を頑張って巡り歩く元気はなくなりました。俗に 奈良の三名椿 と云われるツバキがあります。①東大寺・開山堂の「糊こぼし」、②白亳寺の「五色椿」、③伝香寺の「散り椿」です。東大寺は、聖武天皇の発願で行基が協力して創建した寺ですが、初代別当は良弁(ろうべん)僧正です。この良弁を祀っているのが開山堂ですが、非公開の塔頭です。従って、②③の椿は、お金(拝観料)さえ払えば見ることが出来ますが、①は境内に入ることが出来ないので、ツバキも原則見ることが出来ません。原則と云うのは、あるポイントから境内の一部を覗き見ることが出来るのです。先般、節分の日に奈良に行った折、白毫寺は場所的に少し遠いので諦めましたが、開山堂と伝香寺には立ち寄るつもりでした。伝香寺の散り椿は、例年なら3月中旬から4月初旬頃が見頃ですが、暖冬なので、もう咲いているのではと思ったので、一応念のためTELで確認してみたら、「申し訳ありません。余りの暖冬のために、もう殆ど咲き終わってしまい、見苦しい花が少し残っているだけです。白毫寺さんなら丁度見頃かもしれませんよ」 とのことでした。ウ~ン、今冬の暖冬で何もかも開花時期が狂って滅茶苦茶です。東大寺・開山堂の「糊こぼし」だけになってしまいました。

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 東大寺・開山堂の 「糊(のり)こぼし」‥紅色に白い絞りを入れた大輪の椿です。

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2016年2月 9日 (火)

”丹波の佐吉” 第11回

★橿原市・久米御縣神社

 久米御縣(くめのみあがた)神社を訪ねました。祭神は大久米命(おおくめのみこと、日本書紀では大来目命と記す)です。記紀によりますと、大久米命は、天孫降臨では瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を先導し、その後、神武東征に同行し、宇陀の豪族の兄宇迦斯(えうかし)や、忍坂の土蜘蛛を打ち倒します。橿原に着いた神倭伊波礼琵古命(かむやまといわれひこのみこと)は、やがて即位し、日本最初の神武天皇となります。このときに三輪山の麓に住んでいた大物主命の娘・伊須気余理比売(いすきよりひめ)をお后にと薦めたのが、この大久米命でした。大久米命は、この地に住み着き、一帯は「久米村(来目邑)」と呼ばれるようになりました。

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 さて、今回はこの神社の境内にいます ”丹波の佐吉” の狛犬に会いに来ました。久米御縣神社は、道路から一段高いところに、玉垣に囲まれて西向きに建てられていました。晴天なら西日で悩まされるところでしたが、訪ねた時間には、うまい具合に薄曇りに変わってくれました。鳥居越しの拝殿前に狛犬が見えています。

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