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カテゴリ「木津川市歴史学習会」の2件の記事 Feed

2012年12月 9日 (日)

大仏鉄道跡を訪ねて~加茂から奈良までを歩く

 木津川歴史学習会のメンバーさんから「大仏鉄道跡を歩くので行きませんか?」と声を掛けてもらいましたので、二つ返事で参加させてもらいました。JR加茂駅からJR奈良駅までフルコースを歩くのは1年ぶりです。

★木津川歴史学習会「大仏鉄道跡散策」 10/25

 学生時代、鉄道研究会にも身を置いていた私にとって、この地に住むようになってからは、関西鉄道・大仏鉄道は身近な関心テーマとなりました。明治の遺物として近年、夢とロマンをもって語られることが多いのですが~とりわけ「上り坂では機関車が登れず、客が降りて列車を後押しした」などと、あたかもそれが大仏鉄道を代表する語り草のように紹介されていることに、個人的には非常に疑問を持っています。当時の関西鉄道の技術力と蒸気機関車の性能を調べる限り、こんなことは通常、有り得ないことと思っています。そうした疑問点や不明点を、自分なりに追究したいと思っているのですが、手持ち以上の写真や資料も集まらず、私の整理も殆ど進んでいないのが実情です。
 本日は素直に鉄道遺物だけを皆さんと一緒に見て回ることにしました。

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 いきなり加茂駅西口に近い「ランプ小屋」から訪ねましたが、やはり加茂駅東口広場にある大仏鉄道の案内板からスタート(紹介)しないといけないでしょう。

 大仏鉄道は現在のJR関西本線(大和路線)の前身である私鉄・関西鉄道㈱が名古屋から大阪方面への進展を目指して、「加茂駅」から奈良駅の1km手前に仮設的に作った「大仏駅」までを結ぶ8.8km(その後、奈良まで延長し9.9km)の路線で、明治31年(1898)4月19日に開通いたしました。

 ちなみに、関西鉄道㈱は「かんせいてつどう」と読むのが正しいそうです。明治時代は進取の精神が強調された時代で、漢字の読み方も漢音読みがもてはやされたそうです。江戸時代以前は漢字は仏教と一体でしたので殆ど呉音読みだったのです。ついでに、同行ウォークの博識者から「西を”さい”と読むのは呉音読みで、関西学院大学はミッション・スクールなので仏教臭の強い呉音読みを嫌って、”くゎんせいがくいん”と、漢音読みで西を”せい”と読むようにした」という話も聞きました。*当の関西学院のHPには”くゎんせい”と読むのは進取の精神で、としか書かれていませんが、いろいろ諸説があるようです。

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2012年1月27日 (金)

精華町を歩く~南山城三十三番札所巡り

 木津川市歴史学習会の方から精華町散策のお誘いを頂き、一緒に参加しました。南山城三十三番札所は、1番・海住山寺(加茂町)から33番・泉橋寺(山城町)まで木津川の右岸・左岸を巡り歩きますが、本日は精華町内の寺院を巡るウォーキングです。

★木津川市歴史学習会「江戸時代の山城に流行った“南山城三十三番札所巡り”~精華町散策」 1/26

 朝10時過ぎにJR下狛(しもこま)駅に到着。近鉄・狛田駅に到着した人達と合流して、ただちにスタートです。精華町は車で通り過ぎるだけで、なかなかゆっくりと訪ねることが少なかった所、というのが大方の皆さんの声で、本日のウォークへの期待も大です。

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 最初に訪れたのは、16番札所・鞍岡山(あんこうざん)若王子(にゃくおうじ)です。本尊は平安後期の作・阿弥陀如来坐像ですが、その両脇にあった菩薩像が正座(坐像)で独特の前かがみ姿・立て膝姿(*)で、私には本尊よりも強く印象に残りました。しかし、撮影するのはためらわれて諦めました。ご住職の話では「奈良にも同じような前かがみの像がある」とのことでしたが、肝心なお寺の名前を忘れてしまいました。

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