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2016年10月24日 (月)

岩船 おかげ踊り

 久しぶりの地元祭事ネタです。定年退職するまでは、この地に住んでいても、勤務先の大阪での生活が基盤でしたので、地元の事は全くと言っていいほど知りませんでした。退職後数年間は、徹底して地元を歩き回り、神社仏閣などの旧跡や文化財、歴史、風習、歳時記などを出来る限り見て回り、講師の方や地元の人々から色々教えていただきました。しかし、何回か繰り返し見聞すると、それ以上目新しいこともなく、ウォークや歴史探索も他の市町村へと舞台は移り、日常のテーマも山や花などの自然を相手にしたものが中心となって現在に至っています。しかし、地元・岩船地区の「おかげ踊り」は、今迄見る機会がなかったので、初めて見に行きました。

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 「おかげ踊り」を知らせる旗が道筋に掲げられていました。おかげ踊りが行われるのは当尾の岩船(いわふね)地区にある白山神社です。岩船地区は、奈良市との県境に接する山間部の集落で、当尾の最南端部にあたります。おかげ踊りは、2013年より定期行事化され、年1回、10月16日に行われます。京都府指定無形民俗文化財に登録されています。

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 おかげ踊りの行われる 白山神社(室町時代・重要文化財)です。白山神社は岩船寺(がんせんじ)の鎮守社として平安時代に創建されましたが、承久3年(1221)の承久の乱(=後鳥羽上皇が鎌倉幕府執権である北条義時に対して討伐の兵を挙げて敗れた兵乱)で焼失、室町時代に本殿が再建されました。

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 白山神社拝殿に掲げられている「おかげ踊り奉納絵馬(昭和43年)」です。これよりも古い絵馬も残されているのですが殆ど色が剥離して見るに耐えない状態です。ところで、おかげ踊りは、白山神社本来の行事ではなかったのですが、江戸時代に村のおかげ踊りが白山神社に奉納されたことに由来します。
 ご承知のように、おかげ踊りは江戸時代に盛んとなったお伊勢参り(おかげ参り)の名残りです。伊勢神宮の遷宮の翌年にお参りすると、おかげ(御利益)がいただけるといわれ、江戸時代にはほぼ60年周期に数百万人規模のお伊勢参りブームが起こりました。「おかげ踊り」は、お伊勢参りの時に披露された民衆の踊りで、全国で流行しましたが、地域毎にお囃子も違えば振り付けも違います。時代によっても変化があり、幕末には“ええじゃないか”のお囃子にも変化しました。しかし、明治期の神仏分離で、伊勢神宮の性格が変わったため、おかげ参りそのものは明治期に廃れましたが、おかげ踊りは明治以降も、何か目出度いことがある度に、あるいは五穀豊穣を願うためにと、南山城一帯で盛大に踊られました。
 岩船のおかげ踊りは、大正天皇や昭和天皇の即位の際に、村で踊られた記憶をたよりに、昭和42年に復活しました。写真の奉納絵馬はこの復活時のものです。

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 午後3時、おかげ踊りの皆さんが境内に参集です。

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 開始前に来賓や関係者の挨拶があり、木津川市の河井市長も来ておられました。

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 手元にある「京都府教育委員会編:京都の文化財・南山城編(昭和47年刊)」には、「加茂町岩船の白山神社祭に奉納されるおかげ踊は、近年復活され、その伝承をはかるために祭礼行事とされたものだが、揃いのユカタに黄色いタスキをかけ、スゲ笠をかぶった主婦たちが、音頭にあわせ、御幣を振って踊りめぐる。これは江戸時代に周期的にくりかえされたおかげ参りとふかく関わるものである。その言い伝えは各所に聞くが、白山神社には慶応4年(1868)奉納の、城陽町の水度神社には文政13年(1830)奉納の、おかげ踊の絵馬があり、当時の興奮をよく伝えている」と記されており、慶応4年の絵馬の写真も掲載されています。城陽市でも、近年おかげ踊りが復活するなど、関西各地で伝承行事として見直されているようです。

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 ♪♪ ァァ ヨイサァァ おかげ踊りわァよ ヨイセ コラセ  ァァ岩船のョォ 里ォォで ァァヨイセ コレワイセ  古いョォォ 歴史を ヨイショ コラ  受継ぎて ァァサッサァヤットコ セノヨオオィヤナ  アレワイサッサ コレワイサッサ ササナンデェモセ ♪♪ (歌詞2番)

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 唯一人の小学生の可愛い踊り手さん。ご多分に漏れず、当尾も過疎化で若い人が殆どいません。復活した「おかげ踊り」ですが、この先引き継いでいく人材のことが気になります。

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 15時30分、無事おかげ踊りも終わりました。

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 おかげ踊り見物後は、お休み処「静」さんで、お茶と草餅で一息ついたあと、石仏の道を巡りながら帰途につきました。写真は当尾石仏群のエース的存在 「笑い仏」です。正しくは「阿弥陀三尊磨崖仏」と云い、向かって右に観世音菩薩、左には勢至菩薩を従えた、阿弥陀如来です。平家の焼き討ちに遭った東大寺を復興させるために、中国(唐)から渡来してきた伊行末の孫にあたる、伊派の石工・伊末行の作です。石仏には永仁7年(1299)2月15日の刻銘が残っています。東大寺南大門に残されている、祖父・伊行末が彫った日本最古の石造狛犬「石獅子(重要文化財)」は → こちら

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岩船 おかげ踊りを参照しているブログ:

コメント

おはようございます。
三田も各所の神社でこの時季いろんな舞いが奉納されているようですが、いまだ見物をしたことがありません。地方版の新聞記事を見るだけです。多分転入者のほとんどが無関心なのでしょうね、こんなことではいけないのでしょうけど・・・・。

 ここでは地元の踊りというのはあまり聞かないです。
 伝統行事も受け継ぐ若い人がいないとだんだん廃れてしまうでしょうね。
個々の御柱祭も数え7年に一度なので、次世代への継承が
難しいように思います。

KOZAK 様
コメント有難うございます。
当地でも同様です。私たちの町も30数年前に作られたニュータウンで大阪からの転入者ばかりでした。私たちも、ここは京都府加茂町大阪村だ!なんて言ってました。おかげ踊に見に来ていた転入者も私たちくらいでした。

散輪坊 様
コメント有難うございます。
伝承行事と云っても、観光客が多数押し掛けるわけでもなく、地元の人たちが農作業の忙しい手を止めて行っておられるだけで、踊りが終わると早々に農作業に戻っていく人たちも多いです。加えて若い人がいないものですから、ますます先細り状態で、難しい問題ですね。

こんにちは。「おかげ祭り」の名前は聞いたことがありますが、場所も意味も全く知りませんでした。地元でこういう伝統文化に触れられるのは良いですね。

多摩NTの住人 様
コメント有難うございます。
伊勢に行けば、有名な「おかげ横丁」もありますし、関西圏では「おかげ踊り」の伝承行事が行われていたり、各地の神社に絵馬がよく見られます。折角復活したのですから末長くと思いますが、過疎化による引き継ぎ手の減少はどうしようもありません。

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